神奈川新聞と戦争(45)1944年 ペリーと空襲を重ね|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(45)1944年 ペリーと空襲を重ね

「大元帥陛下御真影」を大きく掲載した開戦3周年の神奈川新聞(1944年12月8日付)

 日米開戦3周年の日に横須賀・久里浜海岸のペリー上陸記念碑を撤去する横須賀市翼賛壮年団(翼壮)の計画は、延期された。1944年12月7日の本紙に載った佐野伴治団長の声明は、延期を陳謝しつつも「撤去撃砕」を求める世論が盛んだとして、正当性が改めて強調されていた。

 「抑(そもそ)も本団がペルリ記念碑を撃砕せんとするは世俗にいふが如き『坊主憎ければ袈裟(けさ)まで憎し』の如(ごと)き低俗なる敵愾(てきがい)心に依(よ)るものにあらず、ペルリ来航は既に『日本遠征』『東亜侵略』の第一歩なること彼我の歴史的考証に徴して明らかなる処なり、今日これを存置するは国辱記念以外の何ものにもあらざること、憂国の文豪徳富蘇峰先生の屡々(しばしば)指摘せられたる処にして吾人(ごじん)又同感なり」

 本紙の前身、神奈川県新聞が展開した主張と同様、ペリー来航を日本侵略と位置づけた上に、オピニオンリーダーだった徳富の名を借り、より権威づけた。

 さらに、激化していた空襲について「鬼畜仇敵米国は『日本抹殺』のため連日の如く空襲罪なき女子学童をも殺傷しつゝあり」と残虐性を非難。ペリーは空襲と同一視されるに至った。

 声明はいう。「この苛烈なる現実に直面しつゝ、尚(なお)も過去の行掛りに拘泥し『大国民の襟度』てふ美名の下にこれを存置せんとするは(略)国民思想に及ぼす影響少なからずと信ず」。空襲で女子学童をも殺傷する米国のむごさを前にしては、大国民のわきまえを気にしている場合ではないのだ-と。

 「吾人は『憤激を新たにせよ』との畏(かしこ)きお言葉を奉戴(ほうたい)し飽(あ)くまで侵略主義の象徴たるペルリ上陸記念碑の撤回撃砕を期す」

 掲載翌日の12月8日、開戦3周年の1面には、昭和天皇の「御真影」が掲載され「仏印国境を突破」「レイテ湾底に十万の米兵を葬らん」「体当り撃墜」と勇ましい見出しが躍った。声明にある「侵略」はアジアでも展開されていた。

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