神奈川新聞と戦争(43)1945年「屈辱的」と公式見解|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(43)1945年「屈辱的」と公式見解

ペリー上陸記念碑の撤去を報じた1945年2月9日付の神奈川新聞。写真は代わりに建てられた「護国精神振起の碑」の木柱

 「宛(さなが)ら“米国倒るゝ音”」と題し、1945年2月9日付の本紙はペリー上陸記念碑の撤去を報じた。

 「この日午前十時三十分から藤原知事、東要[東京湾要塞(ようさい)]司令官代理池上横須賀憲兵隊長其(そ)の他官民代表、地元横須賀翼壮団長[大日本翼賛壮年団長]佐野伴治(略)以下団員多数参列の下に記念碑撤去並びに護国精神振起の碑建設の式は神事厳かに行はれた」

 護国精神振起の碑とは記念碑の代わりに建てられたもので、文学報国会や言論報国会の会長を務め戦争に協力したオピニオンリーダー、徳富蘇峰が揮毫(きごう)した。「[撤去が]終つて碑前の広場に徳富蘇峰翁命名の『護国精神振起の碑』と美事(みごと)大書したサワラ一尺五寸角の木柱が土の根深く打ち立てられた」

 同記事に「藤原知事より撤去決意に至るまでの経過を報告、この屈辱的記念の地を変つて世紀の大戦争勝ち抜く日まで一億の士気昂揚(こうよう)を図る記念地たらしむる旨の式辞あり」とあるように、碑の保存会長を兼務していた官選知事の藤原孝夫が撤去を前にあいさつした。その全文は同じ紙面に「斯(か)く米を撃砕せん 烈々攘夷(じょうい)の藤原知事式辞」の見出しとともに掲載された。

 「余は神奈川県知事として伯理(ペルリ)記念碑保存会長たり、而(しか)して今その保存に当るべき記念碑を撤去し新たに護国精神振起の碑を建てんとす、何んぞ故なしとせんや、茲(ここ)にその経緯の概略を述べ且(かつ)は余の衷情を披歴して以(もっ)て式辞に代へんとす」で始まる式辞は29字詰め、70行余りの長文。

 ペリー来航の目的を米国の東洋侵略と位置づけ、碑を屈辱的な存在と断じた。本紙の前身の一つ、神奈川県新聞の宮野庄之助横須賀支局長が41年3月に紙面で訴えた内容と同様の歴史解釈だ。

 「余本県に着任[44年8月]してより以来之(これ)が保存会長として熟々(つらつら)思へらくペルリ来航の目的たるや元来平和通商の意図に出でたるものに非(あら)ずして内に東洋制は[制覇]の野望を秘めたる示威運動に他ならず」

 3年前の宮野の主張は、日米開戦とその戦局の悪化を経て、知事すなわち県の「公式見解」となった。

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