神奈川新聞と戦争(41)1945年 非理性の言葉が勝る|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(41)1945年 非理性の言葉が勝る

記念碑を「親米思想の遺物」とした藤原知事の声明を載せた1945年2月4日付の神奈川新聞

 「天誅(てんちゅう)下る」の見出し。1945年2月4日の本紙記事は、横須賀・久里浜海岸のペリー上陸記念碑が同月8日の大詔奉戴日に打ち倒されることを予告した。撤去を決断したのは、記念碑の保存会長を兼ねた官選知事の藤原孝夫。戦時下の状況を勘案し、碑を「親米色の濃厚なもの」と捉えて撤去の根拠にした。

 同じ紙面には「打倒運動の経過」と題した記事もある。「ペルリ上陸記念碑は去る明治三十四年[1901年]七月十四日日米協会が建設したもので(略)碑銘の『北米合衆国水師提督伯理記念碑』の十四字は元勲伊藤博文公が揮毫(きごう)したもの」と碑の来歴を説明。

 続いて「支那事変[日中戦争]以来わが対支作戦を事毎(ごと)に妨害、更に重慶の戦力補給を公然と提言してわれに挑戦する敵米の不遜なる対日攻勢に激怒した当時の横須賀市民から『ペルリ記念碑』の抹殺論が起(おこ)つた」と経緯を述べ、撤去を正当化するとともに、それが市民の総意であることを強調した。

 日米開戦後の「市民の怒り」を、同記事は次のように表現した。

 「日米開戦以来緒戦の敗北を立て直した敵米はその物量に物を言はせて遮二無二反攻、人道主義の仮面をかなぐり捨てた彼らは、タラワ、マキン、サイパン、テニヤン等の奪回を期して遺憾なくその獣性を発揮、わが在留の非戦闘員婦女子などに言語に絶する残虐を加へて南溟の海[南方の大海]を朱に染めるや、一億の憤怒は火と発し、歯に報ゆるに歯を以(もっ)てせよ、大国民の襟度も程度ありと、隠忍の緒を切つた」

 人道主義の仮面、獣性、海を朱に染め…。およそ新聞記事とは思えない語句を駆使して「敵国」の残虐性を強調した。「大国民の襟度も程度あり」とは、この3年余り前の41年末、本紙前身の神奈川県新聞が記念碑の撤去キャンペーンを展開した際、そういう感情論は大国民の襟度(度量)にもとる、とした海軍中佐らの反論を意識したものだ。

 戦時下においては、感情論が勝ったのだった。

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