熊本の教訓(5)復興 再起の道見えぬ人も

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2017/04/20 12:16 更新:2017/04/20 14:02
 その一言に思いがこもっていた。

 「明日が来るのは当たり前ではない」。自分の親世代のような大人たちを前にかみしめるように言った。

 2月下旬、大和市内であった熊本地震の報告会。支援活動を通じて知り合った大和の災害ボランティアの招きで、東海大阿蘇キャンパス(熊本県南阿蘇村)の農学部生3人がそれぞれの被災体験や思いを語った。最初に登壇した4年の圓藤沙和さん(22)が発した言葉は、ひときわ重いものだった。

 暮らしていた下宿は、昨年4月16日未明の本震で損壊。開かなくなった自室のドアに体当たりし、外へ逃げ出すと、すぐ脇の学生アパートは1階がつぶれていた。

 車のヘッドライトを頼りに学生や大家らが力を合わせて救助活動を始める。ドアの錠をハンマーで壊し、あるいはバールでこじ開けて中に入り、のこぎりで柱や天井を切った。生き埋めとなった仲間が諦めることがないよう励ましの言葉を掛け続け、5人をどうにか救助。しかし、救出が後になった1人を助けることができなかった。

 いや応なく襲いかかってくる災禍、そして避けることのできない死の現実。それは22年前、古里神戸の人々が嫌というほど味わわされたことだった。

一歩


 大都市が壊滅し、焼け野原となったそのときの記憶は、圓藤さんにはない。生を受けたのは1995年1月12日。阪神大震災の5日前だった。だから、言う。「私は震災を知らない世代と言われて育ってきました」

 しかし、あの日を教訓として神戸で実践されてきた防災教育を折に触れて受けてはきた。学びの中で得た知識や被災者の体験談は、くしくも熊本での自身の経験に重なった。

 今年2月の報告会で投影したスライドでは、「『今』伝えたいこと…」として真っ先に「コミュニティーの大切さ」を挙げ、「救助活動の主役は地域の人」とも記した。それもまた、22年前の神戸で繰り広げられ、だからこそ多くの人々が命をつなぐことができた。

 南阿蘇の復興を願い、語り部として体験を伝え続けてきた圓藤さんだが、この春に卒業。兵庫県内の農業高校で講師となった。支援活動や復興でともに汗を流してきた学生仲間も、それぞれが新たな一歩を踏み出している。

 圓藤さんをはじめ、...

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