神奈川新聞と戦争(35)1941年 異論を封殺する社論|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(35)1941年 異論を封殺する社論

「欧米勢力の亜細亜侵略」「思想戦的謀略」などの小見出しが並んだ宮野庄之助の論説=1941年3月16日の神奈川県新聞

 「読者氏の反対論を駁(ばく)す」と題した210行超の長文。本紙の前身、神奈川県新聞の横須賀支局長を務めていた宮野庄之助が、久里浜海岸のペリー上陸記念碑の処遇を巡って発表した記事だ。掲載日は、日米関係が急速に悪化しつつあった1941年3月16日。

 紙面を通じて記念碑撤去の論陣を張った宮野は、読者から寄せられた撤去反対の声に激しく反論した。

 読者はペリー来航を「日本が今日世界の大国となり得る最初のきつかけ」と捉え「若(も)し彼の来訪がなくんば、果して良く日本の地位を築き得たであらうか」とつづった。これに対する宮野の反論は主に3点。(1)開国の契機はペリー来航でなく日本独自の選択(2)米国は植民地支配を目的に来航(3)(当時進行中だった)日中戦争は欧米による植民地支配からアジアを解放するための「聖戦」である-。

 例えば(1)について宮野は「日本の開国と其(そ)の後における国力の発展とは日本自身の数世紀に亘(わた)り蓄積せるエネルギーの爆発に由(よ)るのである」「日本は世界に於(お)ける最も長き歴史を有する国の一つとして、文化、政治、経済等あらゆる面に於て絶えず他国との接渉を持続して来た」「明治維新後の驚異的なる国力の向上発展を招来したのは、全く日本自身のエネルギーに因(よ)るのである。日本をして日本たらしめたものは日本である」などと力説した。

 (2)については、宮野は上陸記念碑を「日本を心理的精神的にアメリカ植民地化せんとする意図を有する思想的謀略の一表象」と位置づけた。そして(3)について「欧米本位に歪曲(わいきょく)された世界歴史は(略)今将(ま)さに書き換へられんとする時期に到達しつつある」と、その歴史的意義を語った。

 問題は、両者の歴史観の違いではない。宮野による反論の語調、書きぶりだ。「驚くべき日本侮蔑の妄言を放つてゐる」「ペルリの来訪によつて、日本が今日世界の大国となり得る最初のきつかけがつくられたなどゝは歴史的事実に反する大ウソである」「一読者氏は余りにも祖国日本の歴史に無知であり過ぎる」…。

 もはや冷静な論理は伴っていない。「一読者氏」を第一の“標的”としつつ、その論難は国策に少しでも疑問を呈する者全てに向いていただろう。そして、紙面を見た「一読者氏」と同意見の人たちを黙らせる効果をもたらしただろう。

 宮野の論点(3)から読み取れるように当時、日中戦争の正統性を巡り「思想戦」が叫ばれた。物理的な戦闘行為にとどまらず、主張を二元論的に単純化し、異なる意見を封殺した。そういう言論の窒息状態は、近年の日本社会にも重なる。

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