神奈川新聞と戦争(32)1941年 自作自演の「陳情書」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

神奈川新聞と戦争(32)1941年 自作自演の「陳情書」

「『彼理上陸記念碑』撤去せよ」と1面トップで訴えた1941年3月13日付の神奈川県新聞

 「光輝ある軍港都市から『彼理(ペルリー)上陸記念碑』撤去せよ」。日米開戦の9カ月前、1941年3月13日の神奈川県新聞(本紙の前身)の1面トップに掲げられた見出しだ。神奈川県新聞社、とりわけ横須賀支局長の宮野庄之助は、久里浜海岸に立つペリー上陸記念碑の撤去を訴えていた。見出しから分かる通り、海軍の根拠地である鎮守府が置かれた横須賀に、当時日本への経済制裁を強めていた米国の記念碑があるのは「国辱」だと捉えていた。

 「横須賀鎮守府を包含する光輝ある軍港都市の一角久里浜の一名物となつてゐる『北米水師提督彼理上陸の地』と題せる記念碑は世界史の研究が進み当時に於(お)ける彼我の事情が一切判明した今日から見れば日本攻略の意図を深く胸中に秘めてゐたアメリカ側から云(い)へばこれ全く敵前上陸記念碑とも称すべきであつて斯(かく)の如(ごと)き国恥的建設物を帝都の関門にして最も重大なる国防基地たる軍港都市に存置することは支那事変[日中戦争]勃発以来のアメリカの我が国に対する態度特に益々(ますます)援蒋[中国国民政府の蒋介石を支援]並に日本圧迫を強化しつゝある彼の態度に徴して国民的感情の到底及び得る所でないとして左記陳情書が岡本市長及び石渡市会議長宛提出され十一日市会へ報告され公文書たる市会議事録へ正式に記録された」

 その陳情書は「ペリーが武装せる軍艦四隻を率ゐて浦賀湾頭に現はれたるは決して平和の使者として来れるに非(あら)ず我方能(よ)く彼の要求を容(い)るるにあらざれば最後の解決を武力に訴へんとする禍心[災いを加えようという心]を抱蔵せるはペリーの本国に致せる報告書に徴するも極めて明白なる事実也」とし、記念碑は「国恥的建設物」であり、そのまま立てておくのは国民が我慢できないから「撤去のため速かに最善の方法を講ぜられんことを切望す」と市長、議長に求めた。

 全文掲載された陳情書の提出主は「宮野庄之助」。そう、県新聞社の横須賀支局長だ。記念碑の撤去を陳情したのも記事を載せた(恐らくは執筆した)のも宮野自身で、完全な自作自演だった。ただ、この時点で宮野が支局長であることは明かされていない。

 この日の紙面は、本記と陳情書全文だけでなく「陳情者宮野氏語る」と題した談話まで掲載する手厚さだった。いわく、ペリー来航のせいで日本は「欧米諸国の文物を取り入るるに急で極端な欧化主義の崇外病に囚(とら)はれ」た。国民がペリーや米国を「開国の恩人」とありがたがり「崇米熱乃至(ないし)恐米熱」がはびこる現状は「アメリカの思想謀略」の結果だ-。それを宮野は「思想戦」と称した。 

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