大山こま、継承に光 伊勢原、障害者施設に技術指導|カナロコ|神奈川新聞ニュース

大山こま、継承に光 伊勢原、障害者施設に技術指導

旋盤でこまを削る福祉施設「つばき作業所」のスタッフ

 江戸時代から伊勢原市内で製造され、地域のシンボルとなってきた大山こまが後継者不足から製造技術の継承が危ぶまれている。そこで伝統の技を次代に伝えようと、障害者施設に技術指導し施設で生産する取り組みが始まった。市も製造技術を無形文化財にする方針を固め、地域の伝統が未来に受け継がれるよう応援。職人の平均年齢が81歳となり、後継者がたった一人という現状に明るい光が見えてきた。

 大山こまは、昭和30年代の最盛期には30軒ほどで製造され、子どもが遊ぶおもちゃとして全国各地の玩具店に出荷されていた。ところが、社会が豊かになるにつれ、おもちゃも多様化し、土産物としての販売が主流となり、職人も減っていった。

 大山地区では現在、製造しているのは4軒で、職人は5人のみ。平均年齢は81歳で、最も若い「金子屋」の金子吉延さんは67歳だ。昨年、職人の団体「太子講」も解散し、唯一の後継者は「ゑびすや土産店」の8代目で現在、職人修行中の鈴木靖彦さん(46)だ。

 こま作りにはマニュアルはなく、2台並んだ和ろくろで、前で作業する親や先輩の技術を見て“盗む”ことで継承されてきた。特に難しいのが、こま作りの前段の木を削る刃物といわれる道具作りだ。職人は鍛冶屋仕事にも熟練しなければならず、熱した鋼の棒をたたいて、自分で使う道具を手作りする。

 さらに「さまざまな土産物と飲食の売り上げが生活を支えている。こま作りだけでは食べていけない」と金子さん。別の職人は「自分の子どもに継いでほしいとは言えなかった」と明かす。

 そこで、金子さんは昨年から厚木市飯山の福祉施設「つばき作業所」に技術指導を行うことにした。和ろくろではなく、道具が市販されている木工用の旋盤を使い、作業を簡略化した。現在は施設のスタッフが作っているが「将来的には障害のある通所者自身が作るようにしたい」(同施設)。既に、こまを回すひもは通所者が手作りし、こまとセットで厚木市内で販売している。

 金子さんは「大山から職人がいなくなり、技術が絶えてしまうかもしれない。大山で再び、作りたいとなったとき、施設に技術があれば、また大山に戻すことができるだろう」と期待する。

 さらに、伊勢原市は4月を目標に、こまの製造技術を市の無形文化財とする方針を固めた。補助金支給のほか、特産品として市内外へのPR強化などが検討され、伝統の技術継承を後押しする。

 こういった動きに唯一の後継者の鈴木さんは「江戸時代から親しまれてきた大山こまを未来に受け継いでいけるようにがんばりたい」と意気込んでいる。

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