大洋戦士 熊本へ勇気|カナロコ|神奈川新聞ニュース

大洋戦士 熊本へ勇気

自慢の特上ロースを手に「お待ちどおさま」と笑顔をみせる河野さん=熊本市東区

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 2度にわたる激震に見舞われ49人が死亡した熊本地震は、14日で発生から1カ月を迎えた。いまだ深い爪痕が残る被災地で、自ら被災しながらも住民らを元気づけている横浜ゆかりの男性がいる。「自分がもらった勇気を、もっと大変な人たちに届けたい」。元横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の河野安彦さん(55)は、再開にこぎ着けた店で前を向く。つなぎ留めた命の重さと支援への感謝をかみしめながら-。

「悲観しても仕方ない」


 大きな揺れで家具が倒れ、床一面に荷物が散乱した。4月14日夜、震度7を観測した熊本県益城町に接する熊本市東区。河野さんは13歳の娘の元に駆け寄り、揺れが収まるのを待った。2階建て店舗兼住宅は壁に数カ所のひび割れが生じたものの、妻の美保さん(50)と娘にけがはなかった。

 それでも、経験したことのない揺れに不安は増すばかり。当日の夜は近くの駐車場で車中泊し、15日に自宅へと戻った。落ち着きを取り戻し、眠りに就いたころだった。突然、激しい横揺れに襲われ、河野さんはとっさに隣で寝ていた娘に覆いかぶさった。

被災1カ月、焼き肉店再開


 2日前の前震を上回るマグニチュード(M)7・3の本震。未明の街にゴーという地鳴りとミシミシと家がきしむ音が響き、屋内ではテレビや電子レンジが飛び散った。「早く収まってくれ」。そう祈りながらじっと耐えた。たんすが倒れ、河野さんの右足を直撃。激しい痛みを感じながらも、家族と生きていることを確認し合った。

 「想像を絶する揺れで家がつぶれるかと思った。死を覚悟した」。河野さんはこう振り返る一方、家の倒壊を免れ、たんすの下敷きにならずに済んだ備えの重要さを確信した。財産を守り、命をつないだのは、偶然ではなかったのだ。

 本震に襲われる直前、布団にくるまった河野さんの脳裏にふとよぎった。「もう一度大きな地震が起きるかもしれない」。直感を信じ、頭と足の位置を逆にして寝ることに。たんすが倒れれば頭部を直撃する危険性を事前に予測していた。「後悔しないようにやれることはやっておこうと思ったのが良かった」と、機転が奏功したことに思いを巡らせる。

客への感謝で再起


 建物が損壊を免れたのにも理由があった。8本の鉄骨の柱が1階の店舗から2階の住宅部分に伸びており、想定外の揺れにも耐えることができたという。1990年のプロ野球引退後に建築会社に勤めた経験があり、わずかながらも耐震の知識があった。

 「木造住宅に鉄骨を使うことはあまりないけど、何となく丈夫な方がいいと思って設計時にお願いした」。近くの3階建てスーパーがつぶれ、周辺の家屋も倒壊の危険があると判定された中、築約20年の河野さん宅は問題ないとされた。

 河野さん夫妻が二人三脚で切り盛りするのは、焼き肉店「三十八(みとはち)」。店名は現役時代の背番号から付け、自慢の黒毛和牛などが評判を呼んで20年ほど営業を続けてきた。

 被災後、営業再開にこぎ着けるまでには多くの支えがあった。かつてのチームメート山下大輔さんや田代富雄さん、屋鋪要さん、斉藤明雄さんら十数人からも励ましのメールが届き、「勇気付けられた」。馬刺しなど一部メニューは入荷できない状態が続くが、被災しながらも「肉が食べたい」と来店してくれる地元の客への感謝は尽きない。

 1カ月が過ぎて冷静さを取り戻す一方、大きな揺れの再来や将来の不透明さなど、不安に駆られることもあるという河野さん。それでも「悲観していても何も始まらない。家族がいれば乗り越えられる」と前を向く。一人でも多くの被災者に笑顔が戻るように。

 河野 安彦(かわの・やすひこ) 熊本県上天草市出身。鎮西高卒。1978年にドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団し、90年にトレードで西武ライオンズに移籍。その年のシーズン終了後に引退するまで、外野手として活躍した。

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