萎縮する必要はない 配慮すれば言論歪む

【憲法特集】木村草太氏(首都大学東京教授)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/05/03 02:00 更新:2016/08/14 18:13
 自由にものが言いにくい息苦しさがひたひたと社会を満たす。歴史の積み重ねの中で獲得してきた「表現の自由」について正しく理解し不用意に萎縮しないことこそが重要と、憲法学者の木村草太さん(35)は強調する。おのおのが手にしている「表現の自由」を自ら行使することでしか、その権利は支えられない。ゆえに問う。「自分が言いたいことを言えていますか」と。

 -民主主義の根幹ともいえる「言論の自由」「報道の自由」が加速度的に危機的状況に陥りつつあると感じます。

 いま起きている現象は、権力にとって不都合なことを言う人に対し、非難したり、過激に行動したりするよう仕向ける姿勢を政権が取っているということ。

 例えば、一般視聴者が放送局のスポンサーに圧力をかけようとか、抗議の電話を殺到させようと呼び掛けるようなことが非常に増えています。

 これまでは、政権を批判する個人がいたとき、その個人を批判するのではなく、政府を擁護する形の言論が行われてきました。常識的なマナーでしたが、この紳士協定を破ってもいいという認識が急速に広まっています。

 例えば「沖縄の新聞をつぶすべきだ」と発言した作家がいましたが、まさにあれが典型。「政府のやっていることは正しいのだ」と主張せず、「政府を批判している新聞をつぶすべきだ」という言い方をする。私は現政権がこうした動きをうまく利用しているのではないかと考えています。

 例えば、自分にとって都合のいい発言をしてくれそうな人の講演会に顔を出してみたり、電話をして「ありがとう」と言ってみたりする。権力が、言論人による攻撃をうまく使って、自分が攻撃したい人を間接的に攻撃するという現象が生まれています。

 「権力との一体感」は、権力が生み出せる資源の一つであり、現政権はそれを最大限活用しています。

 だが、権力の側がそうした動きを利用しているのであれば、なおさらこの程度のことで表現者たちは萎縮してはいけません。

 -だが、安倍政権の政策に反対してきた表現者や市民は、連敗続きで敗北感が色濃い。

 一体、何に負けているのかというのがまず問題です。政権に自分の意見をのませられるかどうかは非常に大きなゲームで、もちろん負けることの方が多い。

 だがそれは市民の側に限らないはず。安倍首相自身も、安全保障関連法制について100パーセント勝ったとはおそらく思っていません。専門家の意見は集団的自衛権条項について「ほとんど使い物にならない条文」という認識で一致しています。

 安倍政権というのは意外に日和(ひよ)る政権だということが分かった。極端にむちゃなことをやって支持を失うことを恐れている。だから集団的自衛権を全面解禁するところまではいかなかった。いまの与野党の勢力図からすればもっとひどく改正する可能性はあったと思います。

 あれだけ強硬にやっているように見えて、公明党の納得も必要だったし、デモ隊に国会を取り囲まれている状況も何とかしなければいけないと考えていたはずです。

 首相ですら政府に100パーセント影響を及ぼすことが難しいのだから、一人の民間人がちょっとした思いつきで行動したところで政策が変わるかといえば、そう簡単ではない。

 より大事なことは、そうした大きなゲームとは別に私たちはもっと小さなゲームを闘っているということ。「自分が言いたいことを、言いたいよう言えているか」というゲームです。

 例えば野球で、チームが勝てるかどうかという話とは別に、まず打席に立ち、ヤジに屈せずバットを振れるか、という極めて個人的なゲームを私たちは闘っています。ヤジに屈すればその時点で勝負の半分は負けていると言っていい。

 「こんな発言したら電話で抗議を受ける」とか「ネットでブーブー言う人がいる」とか、そうした配慮をすればするほど言論はどんどん歪(ゆが)んでいきます。
 問いは、打席に立つべくみんなが頑張ったのかということ。そこに尽きます。

 -だが政治や社会の未来、さらに民主主義自体に対して期待が薄まっているようにも感じます。

 2015年に国会前で安保法制に反対していた学生団体「SEALDs」(シールズ)に対する反応で興味深いものがありました。
 「デモなんてやっても意味がない」という趣旨の批判です。

 シールズは基本的に安保法制の反対・廃案を求める一つの方法としてデモを選んでいました。そこに「デモは意味がない」と批判するということは、安保法を止めるべきだという主張内容は正しいが、手段としてデモが間違っているという理屈になります。

 前述の野球の例で言えば、ベイスターズのファンが、ベイに勝ってほしいのに「そこで代打を出したら意味がないだろ」とヤジっているのと同じ構図。批判している自分でも気付いていないのかもしれませんが、シールズの究極的目標に期待してしまっています。

 つまり「もっと別の方法で民主主義を活性化してくれ」という叫びです。

 大規模なデモも行われ、数多くの憲法学者による議論もあった。でも届かない。何とかしてほしいのにどうにもならなかった。そうした期待が「デモは意味がない」という批判に行き着いています。

 そこから見えるのは、つまり民主主義はまだ諦められていない、ということ。
 この叫びに、どういう形を与えるか。これまで左派や急進派、理論派という人たちは些細(ささい)な違いで、しょっちゅう分裂を繰り返し、選挙で負けてきたという分析があります。リベラルの人たちは真面目だから真剣に考え、ちょっとした違いが許せなくなってしまう。

 だからこそ政治家や有識者、市民の行動が問われています。具体的に言えば、信頼できて、かつ自民党に対抗できる数を持った政党をつくり上げることができるかどうか。

 -実現できますか。

 それができないのは自民党のせいではない。自民党を批判してきた人の責任でしょう。頭をちょっと柔らかくすれば私は実現できると思っています。

 きむら・そうた 2003年東大法学部卒、同助手を経て16年から現職。15年7月、安保関連法の衆院特別委員会の中央公聴会に公述人として出席、違憲性を指摘した。著書に「テレビが伝えない憲法の話」(PHP新書)...

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