地域で支えるアルコール依存症 苦しみの体験赤裸々|カナロコ|神奈川新聞ニュース

地域で支えるアルコール依存症 苦しみの体験赤裸々

当事者、家族ら講師にセミナー

 アルコール依存症を正しく理解し、医療機関や回復施設につないで適切に対処してもらおうと、県社会福祉協議会が依存症の当事者や家族らを講師に招いたセミナーを年1回開いている。当事者らは依存症の苦しみや回復の喜びを生の声で伝え、地域での支援を呼び掛けている。

 3月下旬、県社会福祉会館(横浜市神奈川区)で開かれたセミナー。県内の民生委員や福祉施設職員ら120人を前に、自らの体験を語り始めたのは、同市内で暮らす荒木俊博さん(49)だ。

 出身地の長崎県の企業で働いていた24歳のとき、大腸がんを患った。死や将来への不安から睡眠薬を乱用し、酒量も増え、最終的に飲酒問題で退職に追い込まれた。

 33歳で上京して寮付きの職を転々としたが、勤務中にアルコール離脱症状で救急搬送されるなどして仕事が続かず、35歳でホームレスに。同市で生活保護を申請し、ケースワーカーの勧めで専門医療施設を受診、アルコール依存症の診断を受けた。

 入院治療、自立更生施設、アルコール治療施設、自助グループと、同市中区の施設を移りながら断酒プログラムに参加。治療はステップを一つずつ踏んでいく。病気であることを受け入れる。自分の生い立ちや行動パターンを振り返る。なぜ酒を飲んでしまうのか、どういうときに飲みたくなるのか確認する。もちろん一直線に進むものではなく、一進一退を繰り返しながらだ。

 荒木さんの両親は再婚同士だった。父は家庭内で暴力を振るうことも多く、家庭は安心できる場所ではなかった。困ったことがあっても誰にも相談しなくなり、いつしか酒で現実逃避するようになった。

 18歳で早くも、過度の飲酒で記憶を飛ばす「ブラックアウト」の症状が出た。がんになったときも、「外では困った顔を見せないよう装い、一人になると死の恐怖におびえ、酒を飲んで忘れようとしていた」。

 最初は自分の弱みを認められなかったが、治療が進んで精神的に落ち着くと、過去の出来事も受け入れられるようになってきたという。

 2008年から回復施設「市民の会・寿アルク」の職員となり、現在はデイケアセンターの施設長を務める。相談に乗る側に立って、改めて「アルコール依存症は男女、貧富に関係なくかかる病気だ」と実感している。「本人が依存症と認めるまでには時間がかかるが、家族の相談に乗るところなどから地域で支えてほしい」と話す。
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 依存症患者の家族の立場から、苦労の日々を語る人もいた。

 同市南区の渡辺美弥子さん(74)は、酒を飲めば酔いつぶれ、会話も通じない夫に「なぜ」「どうして」と自問する日々。夫がアルコール依存症とは知らずに、3人の子どもを育てながら耐え続けた。

 結婚18年でやっと依存症専門病院の県立せりがや病院(現・県立精神医療センター、同市港南区)にたどり着いたが、そこで医師から「奥さんの方が重症。家族も回復が必要だ」と意外な指摘を受けた。勧められるままに保健所で開かれていた家族教室に参加し、日々の生活やさまざまな場面で自身を顧みる作業を始めた。

 渡辺さんが7歳のときに両親は離婚、父と弟妹の4人での生活が始まった。父方の祖母から「母親がいなくてもきちんと生きなさい」と励まされ、明るく素直でいい子を演じてきた。

 「両親が離婚していたので、自分は離婚したくない」と必死で家族を守ろうと頑張り、闘ってきた渡辺さんに、医師は「人のために生きることは、報われることが少なくつらい。これからは自分のために生きなさい」とアドバイスしてくれた。

 断酒会に入ってみるみる回復した夫に、渡辺さんは自分のしたいことやりたいことをぶつけ、夫も受け入れてくれた。「夫から許してもらい、譲ってもらい、自分が自由に生きていると実感することで、夫の大きな愛情を感じた」という。

 夫は断酒後20年がたった07年に直腸がんで亡くなった。その2年前に脳梗塞で右半身不随となったが、夫への感謝の気持ちで介護することができたという。

 「結婚以来、夫は最後まで大切な人だった。今はおかげさまで自分は幸せだと言える」と穏やかに語る。

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