時代の正体〈275〉チマ・チョゴリ(下) 「共に生きる」の悲痛

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/03/21 11:14 更新:2016/03/22 00:09
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 本連載ではここまで、ヘイトスピーチ被害からの救済をチマ・チョゴリ姿で訴えた在日コリアンの胸中をつづってきた。

 3世で2児の母、崔(チェ)江以子(カンイジャ)さん(42)は多様な存在であることを誇る姿を自ら示すため、民族衣装をまとったのだと説明した。

 1世の趙(チョウ)良葉(ヤンヨプ)さん(78)は、ヘイトスピーチが野放しの現状に「いずれ子孫たちは韓国人、朝鮮人であることを明かせなくなる」と、在日コリアンがこの国の歴史的責任とともに消されようとしているという危機を訴え、「民族そのもの、自分そのものを表す」チマ・チョゴリに思いを託した。

 ヘイトスピーチは向けられた対象に沈黙を強いる。反論は自ら標的に名乗り出ることを意味する。法律で禁じられていないという事実は、差別が許容され、社会全体がそれを支えているという絶望を抱かせ、周囲にさえ出自を明かすことをためらわせ、ありのままの自分を語ることができなくなる。

 ヘイトスピーチは圧倒的多数者である日本人から、少数者である在日コリアンに向けられているということも踏まえる必要がある。社会的、制度的な差別と格差の存在が前提としてあり、だからこそ、諦めを強い、口を閉ざさざるを得なくなる。

 そうした中、被害を名乗り出た2人の背を押したものは、絶望や諦めに甘んじまいという勇気だけではもちろん、ない。顔と名前をさらして訴え出た理由を会見で問われ、崔さんは言った。

 「私たちは何も悪いことをしていない。差別をしている人たちを排除することを望んでいるわけでもない。共に生きようと日本社会にラブコールを送っているのだから」

 そして趙さんは記者たちを前に、ヘイトスピーチ被害とは一見関係のない、過去の被差別体験を切々と語った。

 怒りや憤り、悲しみといった感情とは異なる次元の切実さを、そこに見ないわけにはいかない。

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