時代の正体〈273〉チマ・チョゴリ(上)心は殺されたまま

 チマ・チョゴリを着るときはいつも緊張する。辺りの空気が張り詰める。「でも、これが私の正装だから」

 朝鮮の伝統衣装、チマ・チョゴリ。崔(チェ)江以子(カンイジャ)(42)は5着ある中から、落ち着いた色調のものを選んだ。白のチマに薄紫のチョゴリ。その日、川崎市内で続くヘイトスピーチで尊厳を傷付けられたとして、救済の申し立てをすることになっていた。

 夫の中根正一(53)と川崎区の家を出て、もう一人の申立人、在日1世のハルモニ(おばあさん)、趙(チョウ)良葉(ヤンヨプ)(78)と落ち合う。こちらのチマ・チョゴリは目を見張る水色の鮮やかさ。痛む足を引きずるのは相変わらずだが、いつもに増して背筋がピンとして見えた。

 臨海部の街、川崎市川崎区桜本から市の中心街に車を走らせること10分弱、横浜地方法務局川崎支局。崔はとうに覚悟を決めていた。「万が一、却下されたら、そういう社会だと、また発信する。それが桜本の街やハルモニ、子どもたちを守ることにつながる。やれることをすべて尽くさなくちゃ」

 そして、「私も自分の傷に向き合う。あの子はちゃんと向き合ったのだから」。死ね、殺せの大音量と、そう叫ぶ男の顔がフラッシュバックした。

ダブル


 2週間前、夜の桜本。崔の気持ちは固まっていた。「私、決めた。チマ・チョゴリを着ていく。誰に何と言われようと」

 前夜のことだった。一家で卓球世界選手権女子団体の日本-北朝鮮戦をテレビで見ていた。小学生の次男が「どっちを応援すればいいの」と聞いてきた。中学1年生の長男(13)は答えた。「両方応援すればいいんだよ」

 父は日本人、母は在日という自分のルーツを豊かさとして捉える、しなやかな感性。それは桜本の街で育まれたものでもあった。日本人も、在日も、フィリピン人も、日系人も、誰もが違いを尊重し合い、多様性を豊かさとして誇る街、それが桜本。崔と中根も2人の息子にこう教えてきた。

 「二つの民族と文化を受け継ぐあなたたちは半分半分のハーフじゃなくて、2倍の『ダブル』」

 日本頑張れ、北朝鮮も頑張れ、とにぎやかなだんらんの中、しかし、長男は唐突にこぼしたのだった。

 「あのヘイトデモを見て以来、体が半分半分にされ、心がバラバラになった気がする」

 差別主義者によるヘイトデモが桜本を目がけてやって来たのは1月31日のこと。昨年11月に続いてのものだった。

 抗議をしようと長男は沿道に立った。男たちが叫んでいた。

 「韓国、北朝鮮は敵国だ。敵国人に対して死ね、殺せというのは当たり前だ。みなさん、堂々と言いましょう。朝鮮人は出ていけ。ゴキブリ朝鮮人は出ていけ」

 それは自分の中の朝鮮人である部分に突き刺さる言葉であり、しかも、自分の中には、あの醜い差別をした一団と同じ日本人の部分も含まれている-。その絶望を思い、崔は言葉を失った。

 その夜、崔は法務局に提出する申告書を書き直した。わが子が心に深い傷を負ったことを書き加え、〈悔しかったです〉としてあった最後の一文をあらためた。

 〈心は殺されたと同じです〉

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