津波そのとき~千葉・旭市はいま〈2〉 被災者の体験次代に|カナロコ|神奈川新聞ニュース

津波そのとき~千葉・旭市はいま〈2〉 被災者の体験次代に

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/03/13 10:39 更新:2016/03/13 10:55
最後の防災講話を行う梶山校長=11日午後0時40分ごろ、旭市立飯岡中学校

最後の防災講話を行う梶山校長=11日午後0時40分ごろ、旭市立飯岡中学校

 「今日で東日本大震災からちょうど5年に当たり、全国各地で慰霊祭や避難訓練が実施されています。飯岡でも午後に追悼式が開催されます」

 真新しい放送室で、マイクの前に座った校長の梶山定一(60)が切り出した。

 「実際に身近な人や家が被害を受けた生徒、避難生活を経験した生徒も多く、全員があの時の地域の変わり果てた姿を記憶にとどめていると思います」

 東日本大震災の発生から5年の節目となった11日の昼休み。いつものように、しかし、これまでとは少し違う防災講話が始まった。

 首都圏の学校で唯一、津波の浸水被害を受けた千葉県旭市立飯岡中学校。直後の2011年4月に校長として赴任した梶山は苦難の経験を生かそうと、2学期から始めた毎月の講話でわが身も守ることの大切さを呼び掛けてきた。

 海岸線から200メートル余りにあった同校はこの間、復興交付金を活用して1キロ内陸へ移転。生徒、教員は冬休み明けの今年1月から、新たな校舎で学校生活を始めたばかりだ。

 被災から移転までの5年間の歩みに重なる講話は、50回ほどを数える。今月限りで定年退職する梶山にとって最後の回となった3月11日はもちろん、生徒たちにも忘れられない日として胸に刻まれている。

 3年の田宮健太郎(15)は当時、次々と逃げ込んできた住民を受け入れた市立飯岡小学校の4年生。自宅より海に近い祖父の家で第2波にのまれた。1階の天井近くまで迫った黒い濁流をかき分けながらどうにか2階に上がり、難を逃れた場面を今もはっきりと覚えている。

 「一瞬の出来事で、津波はすごい速さだった。思い出したくはないけれど、同じ事を繰り返さないよう伝えていきたい」

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