時代の正体〈256〉ヘイトスピーチ考④ なお伝わらぬ悲しみ

桜本封鎖(4)

 ヘイトスピーチ・デモの嵐が去った翌日から崔(チェ)江以子(カンイジャ)(42)は地域の子どもやハルモニ(在日のおばあさん)、学校の先生たちに何が起きたのかを説明して回った。どんな反応があるのか、息をのむ思いだった。「朝鮮人を殺せ」「朝鮮人はゴキブリだ」と叫ぶ一団が在日コリアンの暮らす街中を通ったという事実だけで、多くの人が傷ついているのは聞くまでもないことだった。

 気持ちが張り詰めたまま1週間が過ぎ、崔は横浜市内の講演会に足を運んだ。講師は1月31日の差別デモの様子を語り、動画投稿サイトにアップされている映像が流された。崔にとってはこの数日間で何度も目にしたものだが、胸が押しつぶされる思いがした。

 会場で唐突に感想を求められ、言った。

 「ああ、私は1週間前、差別されたんだな、と思った。人に伝えることで忙しく、ひどいことはあったけど、屈せず日常を粛々と送り、負けないぞと思っていたが、あらためて私は1週間前に差別をされたのだと思い知った」

 デモが差別という暴力をまき散らしていった通りは、崔が普段、自転車で買い物に向かう道だった。キックスケーターに乗った子どもたちが元気に遊びに駆けて行く道だった。デモを食い止めようと抗議の市民が座り込んだ交差点の先には地元の信用金庫があり、マイクを握り締めて「差別をやめろ」と叫んだのはよく使う携帯電話ショップの前だった。

 暮らしの場に刻まれてしまった差別主義者の底なしの暗い影。「あの道を通るたび、あの交差点に立つたびに、音が消える。私にはまだ現場感が強過ぎる」

 容易には回復できないと自覚した、深い傷。浴びせられた差別言動の数々、それが県警と川崎市の許可を受け、公然となされたという倒錯の絶望を思えば、傷の深さはそうなのだった。

 崔は絶句し、「朝鮮人はすぐ泣いて感情的になると言われるのが嫌だから」と人前では涙をみせないと決めているその目から、光るものがこぼれ落ちた。

 

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