時代の正体〈250〉「ヘイトスピーチを許さない」市民集会(上)

止める義務 自治体にも

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2016/01/27 11:40 更新:2016/05/19 16:35
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 在日コリアンを標的に川崎市で続くヘイトスピーチ(差別扇動表現)を根絶しようと発足した「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」の市民集会が23日開かれた。行政として、市民として、やまない差別にどう向き合うべきか。登壇者のスピーチから考えたい。 

止める義務 自治体にも

弁護士 金哲敏さん  ヘイトスピーチとは何か。それはそもそも存在する人種差別のうち、表現行為でなされるものを指す。確認しておきたいのは、ヘイトスピーチは人種差別撤廃条約上、やってはいけないことだと国際的に認知されているということだ。条約は日本も1996年に批准している。だからまずは、やってはいけないものだということを常識にする必要がある。

 思えば90年代後半はいまのように人種差別は横行していなかった。何もしてこなかったため、街中で朝鮮人を殺せ、皆殺しにしろというヘイトデモまで行われる状況になった。そのことを深刻に捉えるべきだ。

 だが残念ながら、人種差別をなくすための基本法ですら制定のめどが立っていない。野党議員有志による法案は人種差別やヘイトスピーチはやってはいけないということを理念として確認しようというものだ。そうした基礎的な法律すらなかったし、規制や罰則がなくても立法できない現状がある。

 それは表現の自由をどう扱うかの議論が整理されていないからだ。

 表現の自由は、失われれば民主制が機能しなくなるとされる非常に重要な権利だ。だが、これに手を突っ込まないとヘイトスピーチの問題は解決しない。条約は、締約国は差別を禁止し、終了させる義務があると約束している。政府だけでなく自治体にもその義務はある。

 一方、表現の自由は侵害してはいけないという義務もある。対立する二つの概念は同じくらい重い価値がある。しかし、日本国憲法はすべての価値の根源を個人の尊厳に置いている。個々人がそれぞれ尊厳を持っていて、守られるべきだということを出発点にしている。

 マイノリティー(少数者)の個人の尊厳とマジョリティー(多数者)のそれは同価値だ。少数者の尊厳だけが侵害されている状態で社会が繁栄するということを、少なくとも日本国憲法は認めてはいないと私は考える。一部の人間に過剰な負担がかかっているという状態は是正すべきで、そのための試みを繰り返すべきだと求められていると思う。

 では何ができるのか。どのような効果を期待していかなる措置を取り、どのような弊害が起きるのか、地道に試行錯誤していくしかない。

 基本法をつくる。被害者が望む形で救済が図られ、迅速に対応できるよう民事裁判の制度を変える。行政に専門機関を設ける。刑事規制をしなければ、本当の被害者救済は果たせないという議論もある。

 ただ立法には時間がかかる。それ以外の方法も考えないといけない。

 実態調査は必要だ。法の条文をどう解釈し、表現の自由をどれだけ制約できるか、どこまでなら制約していいと考えるかという試みもある。行政は主に表現の自由に抵触しないよう権限を行使してきたが、人種差別をなくすためには抵触するかもしれない領域まで手を突っ込み、どの範囲なら表現の自由を害さず、かつ人種差別に対する手当てになるのか、理屈を詰めて議論する。できることがあるのならチャレンジする。

 東京弁護士会では、朝鮮人を皆殺しにする決起集会をやりたいから公共施設を貸してほしいと申請があったとき、貸さなくてよいか否かといった議論をしてきた。

 表現の自由の価値を尊重する立場からすれば、行政はどのような集会が行われるか内容を検閲すべきではないから、いかに不当な内容の集会でも貸さなければいけないということになってしまう。だが、表現の自由は大切だが、国や自治体には人種差別を撤廃する義務もあるのだから、二つの概念が衝突する場面ではきちんと調整する必要があるという考えに立ち、どういう形で調整し、判断すべきかを案内するパンフレットをつくった。

 アイデアはさまざまにあると思う。表現規制をすることで生じる副作用への懸念を含め、多様な意見を集めて議論することがこの問題は避けて通れない。いろんな価値観の人、賛成、反対の人が広く集まって議論をする仕組みも重要だ。

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