段葛再生<2>北条政子の「安産祈願」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

段葛再生<2>北条政子の「安産祈願」

詣往の道造営

鶴岡八幡宮絵図=1732(享保17)年、鶴岡八幡宮所蔵

 「鶴岳の社頭より由比の浦に至るまで、曲横を直して詣往の道を造る」。1182(養和2)年3月15日の「吾妻鏡」はこう書く。鶴岡八幡宮の参道整備は源頼朝の日ごろからの念願だった。妻・政子の妊娠が分かり、安産を祈願して造営に着手したとも記している。

 工事に際して、頼朝は「手づからこれを沙汰せしめたまふ」。北条時政以下も「おのおの土石を運ばる」。頼朝が監督、時政らが汗を流しながら土石を運ぶ姿を彷彿(ほうふつ)させる。翌月には、八幡宮近くの水田が池に改修された。源平池である。

 南北に真っすぐ走る道は「若宮大路」と呼ばれ、中央に築かれた参道が段葛である。八幡宮が内裏(だいり)、若宮大路は京都の朱雀大路(すざくおおじ)になぞらえられ、町づくりの基軸となった。

 発掘調査によると、道幅は33・6メートル。両側に幅約3メートル、深さ約1・5メートルの溝があった。溝の外側には柱穴の列があり、築地塀(ついじべい)の存在が推定される。江戸中期の「鶴岡八幡宮境内図」には由比ケ浜までの若宮大路が描かれその規模が見て取れる。

 政子はこの年の8月12日、長男・頼家を無事に出産した。翌日、畠山重忠、土屋義清、和田義盛、梶原景時らの御家人が護刀(まもりがたな)を献上した。御家人から贈られた馬は200余頭に及び鶴岡八幡宮、相模国一宮(現、寒川町の寒川神社)、大庭神館(かんだち)(現、藤沢市)、三浦十二天(現、横須賀市の十二所神社)、栗浜大明神(現、横須賀市の住吉神社)以下の諸社に配られた。

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