段葛再生<3>現在残るのは鎌倉だけ|カナロコ|神奈川新聞ニュース

段葛再生<3>現在残るのは鎌倉だけ

縁石置く特殊構造

整備を始める前の段葛

 段葛は若宮大路が整備された際、同時に造られたとみられる。両側に縁石(葛石)を置き、その間を土で固めて周囲より一段高くなっている。この特殊な構造の参道は京都・大内裏の陽明門内にもあったといわれるが、現在残っているのは鎌倉だけである。

 「置石(おきいし)」「作道(つくりみち)」「置路(おきみち)」「七度小路(しちどこうじ)」などの名でも呼ばれた。「平家物語」には「八幡は鶴が岡にたゝせ給へり。地形、石清水にたがはず。廻廊あり、楼門あり。つくり道十余町見くだしたり」とある。

 「鶴岡八幡宮社務職次第」や「新編相模国風土記稿」によると、段葛は由比ガ浜・一の鳥居まであったとされるが、室町時代に作られた「善宝寺寺地の図」(光明寺蔵)に描かれる「置石」は下(しも)の下馬(げば)橋までである。貫達人著「鶴岡八幡宮寺」は「段葛は最初から下の下馬までしか作られなかったと思う。下の下馬という名から考えても、その先にも下馬があるとは思えない」と書く。

 徳川光圀の命令で1685(貞亨2)年に刊行された「新編鎌倉志」には「社前より濱までの道、其中の一段高き所を、段葛(ダンカヅラ)と名く。又は置路(ヲキミチ)とも云なり」とある。段葛の名称は江戸時代からといわれるが、1232(貞永元)年閏(うるう)9月13日の「春日社記録」の「中臣祐定記」に「壇カツラヲタゝミ、壁石ヲ立」とあることから、段葛の用語は鎌倉時代に使われていたとの説がある。

 段葛は後年、執権・北条泰時が若宮大路を整備した際に、新しく築いたのではないかとの見方もある。

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