夜明けの星に(上)ルーツの国芽吹く種 |カナロコ|神奈川新聞ニュース

夜明けの星に(上)ルーツの国芽吹く種 

「王国」からの伝道師

シュート練習をするエンヒッキ選手。アウボラーダ川崎、そして日本代表のエースとして活躍する

 交通事故などで手足を失った人たちがプレーする第5回日本アンプティサッカー選手権が22、23日に富士通スタジアム(川崎市川崎区)で開催される。県内選手を中心とする「アウボラーダ川崎」は昨年に続く連覇を狙う。チーム名の由来はポルトガル語で「夜明け」。2人の中心選手の挑戦を追った。

 リフティングなら300回は余裕でできる。オーバーヘッドキックだって、無回転シュートだって。「片足だからといってできないプレーはないですよ。普段の生活だってそうです」。アウボラーダ川崎、そして日本代表のエース、エンヒッキ松茂良選手(26)=東京都江東区=は事もなげに言う。

 アンプティは「切断」を意味し、戦争で手足を失った人たちがリハビリで始めたのが起源だ。発祥は米国。7人制で、足がない人がフィールドプレーヤーとしてクラッチと呼ばれる杖(つえ)を使ってプレーし、腕がない人がキーパーを務める。

 エンヒッキ選手は日系ブラジル人3世。18歳までを「サッカー王国」で過ごし、日本におけるこの競技の伝道師となった。

 5歳の時、運転ミスの車にひかれ、右足を失った。「親は心配したが、僕はまだ小さかったので意外と自然に受け入れた」。友達はみんなサッカーをやっていた。一緒にボールを追いかけた。みんなは走る。自分は杖で駆け回る。それが当たり前だった。

 13歳の時、障害者センターの仲間とチームをつくり、初めてアンプティサッカーの大会に出た。ぼろ負けで3連敗。だが個人として新人賞に選ばれた。そして、出会いがあった。「当時のブラジル代表のエースに、『練習を頑張れば、君も必ず代表になれる』と言われたんです」。夢ができた。

 健常者とのプレーを当然としていたからこその技術は、当時から抜きんでていた。18歳で念願の代表入りを果たした。2007年にはトルコでのワールドカップ(W杯)に出場し、4位入賞に貢献した。

 翌08年、もう一つの夢をかなえる。自らのルーツ、日本行きだ。「日本の親戚が障害者雇用枠の募集がある企業を教えてくれた」。代表への未練はあったが、一人の社会人としての夢を選んだ。銀行員となった。

 来日した当時、日本でアンプティサッカーを知る人は皆無だった。自ら体験会を始め、義肢装具師を通して普及に努めた。知的障害者にサッカーを教えていた勤め先の上司に協力を求め、協会も設立した。かき集めた選手で日本初のチームを立ち上げ、10年にはそのまま日本代表としてアルゼンチンW杯に出場した。

 結果は惨敗。「でも予選最後の試合で日本代表として初のゴールが奪えた。僕が入れたんですけどね」。メディアに取り上げられた。まいた種は全国各地で少しずつ芽を出していった。

 そんなエンヒッキ選手の奮闘を伝える一つの新聞記事を、目に留めた人がいた。藤沢市の薬剤師・遠藤好彦さん(36)。18歳で足を失い、小学校2年から続けてきたサッカーをずっと遠ざけていた。

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