【カナロコ・オピニオン】(5)「時代の正体」批判について

論を興し民主主義を体現する存在でありたい

安全保障関連法案をめぐり国会前では反対デモが連日繰り広げられた=8月7日

 本紙論説・特報面の「時代の正体」シリーズについて、記事が偏っているという批判が寄せられる。それには「ええ、偏っています」と答えるほかない。

 偏っているという受け止めが考えやスタンスの差異からくるのなら、私とあなたは別人で、考えやスタンスが同じでない以上、私が書いた記事が偏って感じられても何ら不思議ではない。つまり、すべての記事は誰かにとって偏っているということになる。

 あるいは、やり玉に挙げられるのは安倍政権に批判的な記事だから、政権の悪口ばかり書くなということなのかもしれない。

 これにも「でも、それが仕事ですから」としか答えようがない。権力批判はジャーナリズムの役割の一つだからだ。それは先の大戦で新聞が軍部や政権の片棒を担ぎ、非道で無謀な侵略と戦争を正当化し、美化した反省に基づくものでもある。

 そして私たちはいま、権力の暴走を目の前で見せつけられるという歴史的瞬間のただ中にある。


拡大する暴走

 シリーズを始めたのは2014年7月15日、安倍晋三内閣が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に踏み切った2週間後のことだ。

 憲法上許されないとされてきたものが、解釈をひっくり返すことでできるようになる。憲法という権力に対する縛りを為政者自らが振りほどき、意のままに振る舞うさまは暴走の2文字がふさわしかった。

 権力の暴走はしかし、歯止めになり得なかったジャーナリズムの存在意義を問うてもいた。私たちは何を見落とし、何を書き逃してきたのか。「時代の正体」なる大仰なタイトルはその実、時代を見通す目を持ち得なかった自分たちのふがいなさの裏返しにほかならず、遅ればせながらの再出発をそこに誓ったつもりだった。

 暴走はいま、加速し、拡大の気配さえみせる。

 政権に不都合な報道をするマスコミを懲らしめるべきだと与党議員が息巻く。安全保障関連法を強行採決によって成立させる。果ては国会前で抗議デモを続けてきた大学生に殺害予告が届く。それは異論を封じ込め、排除する風潮が政治によって醸成、助長された帰結であるに違いなかった。


多様性を守る

 言論の幅が狭まれば民主主義は根元から揺らぐ。そうであるなら、私たちが直面しているのは、新聞記者である以前に社会を構成する一員としてどのように行動するのかという問題であるはずだ。

 民主主義の要諦は多様性にある。一人一人、望むままの生き方が保障されるには、それぞれが違っていてよい、違っているからこそよいという価値観が保たれていなければならない。それにはまず自らが多様なうちの一人でいることだ。

 だから空気など読まない。忖度(そんたく)しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ誇る。偏っているという批判に「ええ、偏っていますが、何か」と答える。そして、私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権利を守ることになるんですよ、と言い添える。

 ほかの誰のものでもない自らの言葉で絶えず論を興し、そうして民主主義を体現する存在として新聞はありたい。

 (論説委員・石橋学)

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